KenMiki & Associates

「と」の会社

ある企業の経営計画発表会に参加しました。
本来、外部の者が参加出来るようなものではありません。トップが中長期の経営計画に基づき、具体的なヴィジョンやシナリオといった経営方針を社員に発表する場だからです。僕は、この企業のブランディングに深く関わっていて、「これから数年後の事業展開を把握するように」と、このような機会が与えられたのだと思っています。ブランディングを一言でいうとお客さまとの「絆」づくり。と、ここまで書いてきましたが、この発表会の内容は全て機密事項。これ以上は語れないのです。(そりゃそうですよね!)
そこで、今日のコラムはこの会議の後に開かれた第二部の懇親会での話です。
第一部の経営計画発表会のスーツ姿から一転して、社員のみなさん全員リラックスしています。そろいのTシャツを着る部署や浴衣姿の部署など、みんなとても個性的です。司会者の「仕事も頑張るが、遊びも頑張る。みなさん、弾けてくださ〜い!」の号令で懇親会が始まります。女性陣の中には「あなた誰?」と思うぐらいのメークの方もいて凄い熱気に包まれています。「このパワーが何処からくるんだろう?」と、考えている間にも演し物がどんどん変わっていきます。そして、司会者が「おまたせしました〜」と挨拶するやいなや前の席が一斉に片付けられ、そこに全員が集って来るのです。
僕は、押し寄せて来る人の波に飲まれまいと必死です。気がつくとステージの一番前の砂かぶりにいます。そこに社長率いるロックバンドの登場です。これがまた凄い。バラードから始まったかと思えば、奇麗どころの女性陣がいきなり登場して、セクシーなミニスカート姿で「キューティハニー」を合唱するんです。そして、ヘルメットとスコートで女装したワケの分からない男性3人組がなだれ込んできて踊りまくります。僕は、呆れながら「あんたら何者や!」と、心の中で突っ込む始末。昼間の経営計画発表会の緊張から解き放たれたのか、本当に全員が弾けまくっています。その姿に混乱しながらも僕は妙に感動しているんです。なんか体の奥にある熱いものがこみ上げてくる感覚です。この出来事、一週間前の話です。よって、『耕す。育てる。』の天神祭のコラムより以前の出来事なのですが、興奮収まらず今になってしまいました。「あれは、いったいなんだったんだろう」。「この催しのためにすごく練習したんだろうな」。「みんなイキイキしていたな」と、回想していてこの懇親会の目的がはっきりとわかりました。
人と人を繋ぐ「絆」を作ろうとしていたのです。すごくプリミティブだけど、分かち合うのに理屈なんかいりません。チームで一緒になって作り上げる。そこに目には映らない何かが宿ってきます。僕は、ブランディングを通してお客さまと企業の「絆」を結ぶことに注力してきました。彼らを見ていてチームの「絆」をしっかり結ぶことが最も大切なんだと教えられました。
つまり、「中長期の経営計画」を動かすのが「彼ら」だということです。
人を育てる。人がイキイキとする。この経営計画発表会の真の目的は、ここにあるのです。
人と人を繋ぐ「と」の会社。
この「と」がこの企業の最大の魅力で、一番の機密事項なのです。

耕す。育てる。

毎年恒例の天神祭の集いを7月25日に開催しました。
僕の事務所は天神橋と難波橋のちょうど中間の川沿いにあり、目の前を祭りのメインイベントの一つ陸渡御(りくとぎょ)の行列が通ります。総勢3,000人。巨大な太鼓を、シーソーのように大きく体を揺らしながら「ドドドン!」とたたく催太鼓(もよおしたいこ)から始まり、日本神話に登場する神、猿田彦(さるたひこ)、道を清める神鉾(かみほこ)、色鮮やかな衣装の稚児(ちご)や采女(うねめ)が彩りを加え、地車(だんじり)、獅子舞(ししまい)、牛曳童児(うしひきどうじ)などが連なります。そして、平安時代の貴族の乗り物、御羽車(おはぐるま)や菅原道真公の御神霊を乗せた御鳳輦(ごほうれん)が第二陣でやってきます。最後に鳳神輿(おおとりみこし)と玉神輿(たまみこし)が事務所の前を通過する頃には、僕はずいぶん出来上がっています。荘厳な雰囲気で時代絵巻を見ながらのお客さまとの歓談。ついついお酒が進みます。陸渡御を終えた一団が天神橋のたもとから船に乗り込み、祭は船渡御(ふなとぎょ)へと移ります。御神霊を乗せた御鳳輦船(ごほうれんせん)を中心に100隻の船が大川を行き交い、5,000発の奉納花火が夜空を真っ赤に染める頃、祭はクライマックスを迎えます。
こんな一大ページェントが繰り広げられるエリアに事務所があるものですから、仕事どころではありません。毎年、のんびりしたスタッフは祭が始まっても仕事に追われ、途中からしか参加出来ないハメになっている者もいますが、今年は土曜日。みんな気合いが入っています。
ゲストに「街場の教育論」など多数の著書や講演で大活躍の内田樹さん(書籍はもちろん、ブログ無茶苦茶面白いのでお勧めです。http://blog.tatsuru.com/)や僕のコラムでもおなじみの画家の山本浩二さんと奥様のソプラノ歌手の森永一衣さん、サントリーミュージアムで開催された「純粋なる継承」の写真が素晴らしかったカメラマンの奥脇孝一さんご家族など、たくさんの方々にお越しいただきました。この祭、大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)より始まったとされていて、今年で1,050年を迎えるそうです。約11世紀ですよ!(50年という長い時間を「約」といって、1世紀に数えてしまうぐらいの時間の流れ、すごい歴史でしょ。)これを文化といわずしてなんといいましょう。天満宮の氏子になって「三木氏」の入った提灯をかかげ、祭を祝う。この提灯の「あかり」がやっと事務所に似合うようになってきました。
この「あかり」が文化です。
グローバルな社会になればなるほどローカルが輝きます。いや、輝かせなければなりません。
仄かな「あかり」で地域を灯す。一年に一度みんなで集う。文化は耕すもの。育てるもの。だって、Cultureの語源、Cultivateが「耕す」「育てる」という意味なんですから。僕たち三木健デザイン事務所もこの地域の方々にお世話になり、この地の文化に育てられています。
「輝く未来」なんて言葉はあまり信用できませんが、仄かだけど、ずーっと灯ってきた「あかり」になぜか未来を想像します。

真っすぐ

阪神淡路大震災の翌年の1997年、僕の通っていた神戸の二宮小学校が廃校となりました。少子化問題などを抱え4つの小学校が統合され神戸市立中央小学校として生まれ変わったのです。
母校が消える。校歌が受け継がれなくなる。NHKの『課外授業 ようこそ先輩』に出演ができなくなってしまった。(笑)「あぁ〜」。なんだかむなしい。すごく寂しい。その小学校の廃校式に出席した友人の発案で『にのみや会』という同窓会が開かれることになり今年で5回目を迎えます。先週の土曜日、その同窓会に出席してきました。
幼なじみと久しぶりに出会うと、当時の面影を残していて一目でわかる人もいれば、風貌(体型?)が変わってしまい、まったくわからない方もいます。それでも「○○ちゃん」と呼び合っていると当時へとタイムトリップしていきます。
僕が小学校四年生の時に東京オリンピックが開催され、五年生の時にビートルズが来日、小学校を卒業した年にツイッギーがやって来て、街中に膝上25cmぐらいのミニスカートの女性が溢れた時代です。ちなみに土曜日に出会った幼なじみの女子のスカート丈は、ほとんどが膝下10cmぐらいになっていました。そりゃそうだよね。みんなしっかりと歳を重ねてきたんだもの…。
その女子に「三木君、若いね!」なんていわれて思わず喜んでいる自分が、まさに歳をとった証拠です。さて、その女子のスカート丈が伸びてくるまでの時間をもう少し遡って当時を振り返ってみると、中学2年生の時に東大安田講堂事件があり、東大受験が中止され翌年の1970年、東大入学者がゼロとなります。そして、その年の僕の誕生日に『よど号』のハイジャック事件が起こり犯人の赤軍派が北朝鮮へと亡命。日本中がハイジャックという言葉を初めて耳にしました。僕はといえば弟と一緒に出掛けた大阪万博で興奮のあまり入学祝いにもらった万年筆をなくして落ち込む始末です。そんな思春期まっただ中の秋に三島由紀夫の割腹自殺。僕たちの少し上のジェネレーションは学生運動にのめり込み、ウーマンリブなる女性解放運動が盛んになり、ピンクのヘルメットの怖いお姉さん達(中ピ連)が何人もの男性を公然で吊るし上げては満足げな顔をしていました。「なんか違うんだよな〜」なんてぼやくと、怖いお姉さんに囲まれて木っ端みじんにされそうなすごい時代でもありました。細谷巌さんと秋山晶さんの「男は黙ってサッポロビール」の広告が誕生するのもちょうどその頃です。
高度経済成長時代という誰にも止めることの出来ないすごいエネルギーが、好むと好まざるに限らず、僕たちを強引に引率していった時代でもありました。ノンポリの学生でも何も考えていなかった訳ではありません。僕は「いったい何処にいくの?」「何処にいけばいいの?」とずっと心で叫んでいたように思います。「止まらない列車に乗ってはならない」といった浜野安宏さんに刺激を受け、コンセプトなる言葉を知るのは、それからずいぶん経ってからです。
意味と形。思想とデザイン。僕はずっと、そんなことを考えて走ってきました。いゃ、無意識にそんなことを考えてしまっていたようです。時代が、経験が、人に価値を築いていきます。
ここに掲載する昭和42年の神戸市立二宮小学校6年3組のクラス写真。2列目左から3番目が当時の僕。日本が目まぐるしく変わろうとしていた時代です。みんなピュアで真面目すぎるぐらい真っすぐに前を見ています。
「真っすぐ」。
志があって、遠くを見ていて、何より自分に素直で「生きる指針」が定められた大切な姿勢だと、卒業アルバムをめくりながらあらためて感じた次第です。
“Boys be ambitious” 少年よ、大志をいだけ。

志と解放

ひさしぶりのコラムです。このところ、鳥取、岐阜(2回)、京都(数えきれない)、東京(3回)とあわただしく移動が続き、先日は福岡の予定をキャンセル。一昨日まで3日間連続の撮影。その間に事務所のスタッフ募集で複数のデザイナーを面接して、携帯電話をiPhone 3GSに変更。iPhone の不具合、慣れない操作に「フゥ、フゥ」いいながら、今、また東京とんぼ返りの新幹線の車中。この移動時間にやっとコラムにたどり着きました。
みなさん、お待たせしました。(待っていないか?)それにしてもバタバタです。
再来週からまた撮影の予定が入っていて、事務所でいつ仕事をするんだろう?(ウゥ〜)
走りながら考えているといえばかっこいいのですが、なかなか落ち着いてデザインに取り組む時間がありません。頭でデッサンをしてデザインを進めるもリアリティが湧いてきません。粘土を捏ねるようにイメージを探って「おぉ、これこれ」といった感じの指先が喜ぶ感覚を忘れそうでちょっとヤバイです。脳と体が同期するような「決まった!」という満足感にここ1ヶ月、ご無沙汰でした。昨日、久しぶりの事務所でクライアントと打ち合わせをしながらラフスケッチを描いていたら、急にデザインの神様が僕の指先に降りてきてアイデアが無茶苦茶ジャンプするではありませんか。平面で考えていたアイデアが立体的に広がって「来た〜」という感じです。カッターナイフを持ち出して平面のラフスケッチを立体的に組み立てはじめたら、クライアントの目がどんどん丸くなっていきます。その丸くなっていく目とシンクロするように僕の結構ヤバかった指先と脳に喜びの血液が戻ってきます。トキメクとでもいうか、ワクワクしてきて小躍りをしたい気分です。抑制をされていたクリエイティブな心がどんどん解放されていく。これって、前回のコラムで書いた宇治の茶葉が光を遮断されることで太陽の光を求めておいしさが増すというあの感覚じゃないだろうか?なんか植物の気持ちがちょっとわかるような気がします。
今回の移動では、伝統工芸の職人と出会ったり、立体成型の工場を視察したり、洋菓子会社の製造現場の撮影だったりとモノづくりの現場に触れる機会が多く、それぞれの現場でそこでしかできない技やこだわりに出会いました。僕にとっては、どれも目を丸くするような刺激でずいぶんみなさんの手を止めてしまいましたが、モノづくりの力とでもいうか、形づくられるまでの試行錯誤を乗り越えた『誇り』のようなものをいずれの場所でも感じました。そんな刺激を受けまくりの移動ですから、久しぶりのデザインワークで脳に溜まったモノづくりの欲求が一瞬にして爆発してもおかしくありません。前文で「抑制されたクリエイティブな心がどんどん解放されていく」と書きましたが、本当は「抑制された」ではなく「刺激されたクリエイティブな心がどんどん解放されていく」が正しい感覚です。抑制されたダイエットの後のリバウンドのようなクリエイティブには魅力がないのです。いわば、刺激がクリエイティブに向かう「志」を築き、その「志」によってデザインが解放されるのです。それにしても疲れました。脳と体も解放したい。

ここに紹介するビデオ、新大阪に到着する寸前にiPhoneで撮影したものです。「ピン ♪ ピン ♪ ポン♪ ピッ ♪ パ〜ン ♪」「まもなく新大阪です。…」この音声が流れると、やっとホームにたどり着いた感じです。長い旅だった。いゃいゃ、まだまだ続くんだろうなぁ〜。ひとまず今日は家に帰って、お風呂で汗を流し、ビールで体をゆるゆるにしたい。
『デザインは「志」が解放する』。これ、旅で学んだ教訓です。