KenMiki & Associates

背景から見えてくるもの

先日、『きらめくデザイナーたちの競演 —DNPグラフィックデザイン・アーカイブ収蔵品展』のトークショーでデザイン評論家の柏木博さんと対談をしました。この展覧会は、同世代の作家2名ないし3名を対比することで、作品の時代性や作家の個性をより鮮明に浮かび上がらせようと企画されたもので、永井一正さんと柏木博さんの二人による監修です。トークショーでは、それぞれの作家と僕たちの接点を中心に、時代背景と作品の関係などについて語っていきました。
僕にとって、最も印象深い作品の一つが亀倉雄策さんの『東京オリンピック』(1964年)のポスターです。当時、小学校四年生だった僕は、銀行のプレミアムグッズとして配られた三角錐型の貯金箱の三面にプリントされていた『陸上のスタートダッシュ』『水泳のバタフライ』『聖火ランナー』の3点のポスターが強く記憶に残っています。ただ、歴史に残る『日の丸と五輪』のシンボルマークのポスターは、当時の僕には国旗がついている程度にしか印象がなく、その凄さはその後デザイナーになって気づくことになります。
当時の時代背景を見つめてみると、第11回ベルリン大会のあと、1940年に東京で開催される予定だった『東京オリンピック』が日中戦争により中止を余儀なくされ、その後第2次世界大戦に突入。そして敗戦。焼け野原になった日本が戦後立ち直り、1964年に悲願だった『東京オリンピック』を開催することになるわけです。
『東京オリンピック』の第一号ポスターとなった『日の丸と五輪』が1961年の発表で、1960年にシンボルマークの指名コンペが開かれています。当時の資料を見ると田中一光さん、永井一正さん、杉浦康平さんといった蒼々たるデザイナーが参加していて、オリジナリティあふれるシンボルマークを提案しています。その中でも『日の丸と五輪』のシンボルマークは、戦後の復興を世界にアピールする国家事業の象徴として簡潔で「見事」の一言につきる表現だと感心します。
2016年の夏季オリンピック招致に東京都が立候補していますが、もし開催されることになっても当時のシンボルマークとは一線を画す、まったく異なる価値の表現が求められることになります。時代背景や国際間での日本や東京の立ち位置、環境問題や経済問題など、運営との密接な関係の中でデザインにより問題解決せねばならない課題が浮上し、その延長線上にシンボルマークを始めとするあらゆるデザイン領域のコンセプトが組み立てられていくと考えるからです。
また、1960年に開催された世界デザイン会議で丹下健三さん、亀倉雄策さん、柳宗理さん、坂倉準三さん、勝見勝さん達を中心にデザイン分野の異なるクリエイターがデザイン領域を横断的に捉える議論を交わし、その後『東京オリンピック』へと繋がっていったように、クリエイティブの力の集結とその力をしなやかに行政へと繋いでいく政治力のあるプロデューサーの存在が極めて重要になると思います。
今回の企画に見る作家の対比は、直接的な相互関係の有無に関わらず同時代を共有することで何らかの刺激や影響を受け合っており、クリエイターと作品の背景には多くの物語が広がっていることに間違いありません。トークショーでは、それぞれのデザイナーのエピソードを加えながら対談を進めていきましたが、作品や作家の思想を深く掘り下げることで僕自身いくつもの気づきに出会えたと思っています。『背景から見えてくるもの』。そんな、バックボーンをしっかり見据えたデザインを進めたいと願う3月31日。誕生日のコラムです。