KenMiki & Associates

真っすぐ

阪神淡路大震災の翌年の1997年、僕の通っていた神戸の二宮小学校が廃校となりました。少子化問題などを抱え4つの小学校が統合され神戸市立中央小学校として生まれ変わったのです。
母校が消える。校歌が受け継がれなくなる。NHKの『課外授業 ようこそ先輩』に出演ができなくなってしまった。(笑)「あぁ〜」。なんだかむなしい。すごく寂しい。その小学校の廃校式に出席した友人の発案で『にのみや会』という同窓会が開かれることになり今年で5回目を迎えます。先週の土曜日、その同窓会に出席してきました。
幼なじみと久しぶりに出会うと、当時の面影を残していて一目でわかる人もいれば、風貌(体型?)が変わってしまい、まったくわからない方もいます。それでも「○○ちゃん」と呼び合っていると当時へとタイムトリップしていきます。
僕が小学校四年生の時に東京オリンピックが開催され、五年生の時にビートルズが来日、小学校を卒業した年にツイッギーがやって来て、街中に膝上25cmぐらいのミニスカートの女性が溢れた時代です。ちなみに土曜日に出会った幼なじみの女子のスカート丈は、ほとんどが膝下10cmぐらいになっていました。そりゃそうだよね。みんなしっかりと歳を重ねてきたんだもの…。
その女子に「三木君、若いね!」なんていわれて思わず喜んでいる自分が、まさに歳をとった証拠です。さて、その女子のスカート丈が伸びてくるまでの時間をもう少し遡って当時を振り返ってみると、中学2年生の時に東大安田講堂事件があり、東大受験が中止され翌年の1970年、東大入学者がゼロとなります。そして、その年の僕の誕生日に『よど号』のハイジャック事件が起こり犯人の赤軍派が北朝鮮へと亡命。日本中がハイジャックという言葉を初めて耳にしました。僕はといえば弟と一緒に出掛けた大阪万博で興奮のあまり入学祝いにもらった万年筆をなくして落ち込む始末です。そんな思春期まっただ中の秋に三島由紀夫の割腹自殺。僕たちの少し上のジェネレーションは学生運動にのめり込み、ウーマンリブなる女性解放運動が盛んになり、ピンクのヘルメットの怖いお姉さん達(中ピ連)が何人もの男性を公然で吊るし上げては満足げな顔をしていました。「なんか違うんだよな〜」なんてぼやくと、怖いお姉さんに囲まれて木っ端みじんにされそうなすごい時代でもありました。細谷巌さんと秋山晶さんの「男は黙ってサッポロビール」の広告が誕生するのもちょうどその頃です。
高度経済成長時代という誰にも止めることの出来ないすごいエネルギーが、好むと好まざるに限らず、僕たちを強引に引率していった時代でもありました。ノンポリの学生でも何も考えていなかった訳ではありません。僕は「いったい何処にいくの?」「何処にいけばいいの?」とずっと心で叫んでいたように思います。「止まらない列車に乗ってはならない」といった浜野安宏さんに刺激を受け、コンセプトなる言葉を知るのは、それからずいぶん経ってからです。
意味と形。思想とデザイン。僕はずっと、そんなことを考えて走ってきました。いゃ、無意識にそんなことを考えてしまっていたようです。時代が、経験が、人に価値を築いていきます。
ここに掲載する昭和42年の神戸市立二宮小学校6年3組のクラス写真。2列目左から3番目が当時の僕。日本が目まぐるしく変わろうとしていた時代です。みんなピュアで真面目すぎるぐらい真っすぐに前を見ています。
「真っすぐ」。
志があって、遠くを見ていて、何より自分に素直で「生きる指針」が定められた大切な姿勢だと、卒業アルバムをめくりながらあらためて感じた次第です。
“Boys be ambitious” 少年よ、大志をいだけ。