KenMiki & Associates

大晦日

2009年12月31日 午後3時。

なにげに空を見上げながら無数の電線を見て「みんな繋がっているんだ!」なんて、急にセンチメンタルになりデジカメを取り出して「パシャッ」。自宅前の坂を300mぐらい下った交差点で撮ったのがこの写真。大阪万博以前の高度経済成長が始まるまでのこの場所の空には、こんなにたくさんの暮らしのラインなんか一本もなかったはずです。以前の僕だったら、きれいな空を切り取りとって暮らしや自然などの話を題材にこのコラムを書いたかもしれませんが、今はどうもしっかり現実を直視したことでないと興味が湧いてきません。

「暮らす」は、「生きる」。「生きる」は、ずーっと続いていること。ずーっと続いているから空を部分的に切り取ったりしない。このたくさんのラインは、営みの証。この空を見つめながら新ためて「暮らし」って何だろうと、考えにふけった次第です。

大晦日は、紅白歌合戦を見ながら年越しそばをいただいて、「ゆく年くる年」が始まるとすぐに近くの為那都比古神社(いなつひこじんじゃ)にお参りに行って新年を迎えます。

平凡だけど健康に一年を過ごせたことに感謝しながらの大晦日。毎年、年の暮れは妙に感傷に浸りながらお酒をいただき(不謹慎だけど)、一年を反省するんです。いま紅白で英国のスーザン・ボイルさんが唱っています。透明な歌声に胸がキュンとなってきました。もう少ししたら9時間前に空を眺めた交差点を通って、為那都比古神社に向かいます。その時にもう一度、真っ暗な空を見上げようと思います。みなさん、今年一年ありがとうございました。そして、長く事務所に勤めてくれた近藤くん、独立おめでとう。素敵な年になりますように!そして、事務所のみんな、お疲れさまでした。来年もよろしくね!

直感。「ビビビッ」。「好きだ」。「話したい」。

11月と12月の2日間、Graphic Design in Japan 2010の選考会に出席しました。今年度より選考システムが変わり、投票で選ばれた40名の選考委員が今年20名と来年20名に別れます。僕は今年の選考チーム。よって来年はお休み。その20名がまた10名づつに別れ、それぞれのカテゴリーに区分された応募作品を選考します。
僕達のチームは、ポスター部門とパッケージ部門とブック部門の3つのカテゴリーを担当します。応募総数が2,837点。そのうちポスター部門の応募が963点。パッケージ部門の応募が175点。ブック部門の応募が271点です。ポスターは、6層に重ねられていて体育館ぐらいの大きな会場にところ狭しと並べられています。その周りを10名の選考委員がぐるぐる歩き回りながら気に入った作品にチップを入れていきます。
「厳しいっ!」。なかなかチップが入りません。半分の選考委員が入選と思いチップを入れたポスターは20%にもおよびません。そんな中でも思わず立ち止まり引き込まれていく作品があります。何なんでしょう。たくさん伝えたい事の中から一番大切な言葉をポンッと差し出すポスター。言葉すら語らないけど、黙礼のように目と目で話すようなポスター。「なるほど。座布団一枚」といった腑に落ちるポスター。感覚的だけど理屈なくかっこいいポスター。不思議、見たことない、といった強い個性でサプライズを与えてくれるポスター。懐かしいのに、どこか新しいポスター。小声だけど確かな言葉に思わず耳をダンボにしてしまうポスター。おおらかでゆったりとした気分にさせてくれるポスター。創りすぎないナチュラルでかざらないポスター。時代に左右されない真っすぐなポスター。
これらの「ポスター」の部分を「人」に置き換えてみるとその魅力が分かってきます。それぞれの個性が明解で、その人らしく生きていて、自分の言葉で語っている人。よく似た人は、ぼやけてしまう。空気を読めない人は、うっとおしい。理屈ばかりの人は、つまらない。僕がチップを入れる基準は、この人と話してみたいと思えるようなポスター。
論理的じゃないけど、僕の心が一瞬に判断する。
直感。「ビビビッ」。「好きだ」。「話したい」。

講演

昨日に引き続き、香港からのコラム更新です。
10月から続いてきた海外での講演の4回目が昨日終了しました。いずれも主催者が異なり、こんなに慌ただしく世界を飛び回ったのは生まれて初めてです。その間の日本での講演を含むと3ヶ月で計6回もやっています。2週間に一度の割合で人前で話してきたことになります。長かった。そんな講演の今年の締めくくりが香港ビジネス・デザイン・ウィーク(BODW)です。講演前に2名の同時通訳の方との打ち合わせは約10分。事前に提出済みの原稿に変更内容を伝えただけでおしまい。と、いうのも原稿を読みながらの講演だと、どうしても相手にメッセージが届かないような気がして本番はアドリブで話すつもりです。ベテランの同時通訳の方は、いろんな講演者の話を通訳していて専門用語の意味とか話の中で登場する文化的背景などはすでに渡している原稿から予習済みとのことです。よって、僕の話がある程度広がったとしても大丈夫らしいのです。「頼もしい」。同時通訳の方のプロの仕事にひと安心です。
気合いが入ってきました。
その後、自分のコンピュータをBODWの係の方に渡したのですが担当者がいまいち頼りなさそうなのです。おとといのリハーサルの時から少し気にかかっていました。本番前にプロジェクターとコンピュータのラインを繋がずに映像が映らないと慌てているのです。あまりに初歩的なミスだと思いませんか。そして、僕のコンピュータのシステム環境を勝手に開き、何やら操作をしようとしているではありませんか。本番5分前ですよ。さすがに「さわらないで!」と叫び、ラインの繋がっていないことを指摘。「あぁ〜」といって照れ笑いしています。ヒヤヒヤしながらもこれで安心と思い僕は壇上へ。順調に講演が進みオーディエンスの視線が熱く感じられてきた頃、僕の計画では、ある仕事のためにオリジナルで創った音楽を会場に流す予定です。「それでは、この仕事のために創った音楽をみなさんにお聞きいただきたいと思います」。僕は、コンピュータのボタンをポンッと押します。「えぇ?」。「あれっ?、音が出ない」。リハーサルの際、会場内のすみずみにまで目を配り、映像の見え方や音のボリュームも全てチェックして担当者に指示しているのに…。最大級の「ウヘェ〜〜〜」です。後で知ったのですが、差し込んだプラグがリハーサルの物と違っていたらしいのです。僕の心中は、まるで紅白歌合戦の小林幸子の衣装の仕掛けが動かなかったような気分です。「いや、参りました」。今まで海外でたくさんのアクシデントにみまわれてきた経験があるのでリハーサルの際、念には念を入れてチェックしていたのですが…。今日の朝にもう一度やっておくべきでした。こうなったら気持ちをすぐに立て直し「先程、何があったの?」と、いった顔で話すしかありません。内心は慌てているのですが、こんな時は、できるだけゆっくりと話す事が大切です。「ゆっくり、ゆっくり、さらにゆっくり」と、自分に言い聞かせます。
話は、徐々に次の山場にさしかかります。そこに仕組んだ映像が今度は動くかどうかが心配です。ここは、僕のコンピュータがよほどのアクシデントに出会わないない限り上手く動くはずですが、数年前の名古屋の大学での悪夢が僕の頭をよぎります。その時は、事前のリハーサルで電源を足に引っかけ、講演前にコンピュータが落下したのです。いろんな経験を重ねてきました。ここは無事、映像が流れました。遅ればせながらですが、僕のエンジンも徐々にかかってきました。すると、今度は客席から残り時間を知らせるBODWのスタッフが「後、10分」と、伝えてきます。「お前ら、音が流れなかったトラブルの時間を差し引いて、時間ボードを上げてるのか」と、心で突っ込み、後は全くボードを無視して自分のペースで話を組み立てていきます。観客から「クスッ」と笑い声が聞こえ始めました。こうなればもう大丈夫。オーディエンスの中には、僕の話に身を乗り出している方が目立ってきました。そして、講演の最後に理解の巨匠、リチャード・ソールワーマンさんの言葉を借りてと伝え、「理解とは何か?」と話しました。「僕の講演を聞かれたあなたが、自分の目で見て、自分の耳で聴き、自分の心で感じたことを、自分の言葉にして他の誰かに僕の講演の内容を話してください」。「あなたの話を聴かれた方が、なるほど!と言った時、あなた自身が僕の講演の趣旨を理解したことになる」。といって締めくくりました。『話すようにデザインをする Design as We Talk』の講演タイトルが示すような滑らかな話にはなりませんでしたが、まずまずの講演といったところではなかったでしょうか。結果、10分以上の時間オーバーになりましたが、講演後のオーディエンスからは「全く長く感じなかった。面白かった。この話の続きをもっと聞きたい!」といっていただき、ちょっとホッとしました。その後のパーティで主催者から「コミュニケーション分野で学生から一番人気の講演でしたよ」とお褒めの言葉をいただきました。『喜喜』のDOUBLE HAPPINESSな気持ちです。講演後、4社のメディアからインタビューを受けました。今日の僕の仕事が全て終わって、いまからは僕のお目当ての建築家の講演を聞きにオーディエンスとして走ります。プログラムのタイムスケジュールからして「ほんの、少ししか聞けないだろうな」と会場に着くと、全体のスケジュールがずいぶん押していて前の方がまだ講演をしています。スピーカーのみなさん、自分の考えをしっかりとメッセージしようと、予定の時間をはるかにオーバーしている様子です。僕と一緒です。「そうだよな。自分のアイデンティティや考え方をしっかり伝えなきゃいけない講演で少々の時間オーバーなんて問題ありません。きっちりと伝えたい事が届くかどうかの方が大切です」。とんだアクシデントに見舞われた今回の講演。またひとつ打たれ強くなりました。10月から始まった海外での連続講演は、きっと今後の僕のデザイン活動や人生に大きな影響を与えてくれると信じています。それにしても長い3ヶ月でした。

P.S.
そうそう、ここに掲載した写真。すべて僕のデジカメを使って廣村正彰さんが撮ってくれました。さすが日本を代表するデザイナーです。構図がすばらしい。 
Photo by Masaaki Hiromura. ノントリミングで掲載しています。廣村さんありがとね。

WANTED

香港からのコラム更新です。
アジア最大のデザインイベント、香港ビジネス・デザイン・ウィーク(BODW)のスピーカーとして招かれ12月3日に香港に入りました。空港から車で市内に入ると、大きなビルボードにこのイベントの告知がでっかくあがっています。予想していたより大きなイベントのようです。会場の周辺には、スピーカーの顔写真の入ったフラッグがいたるところでたなびいています。
「やばい」。僕の顔がWANTEDな状態で香港市内にさらされています。急に緊張してきました。飛行機でたくさんいただいたワインのほろ酔い気分が「スーッ」とさめていきます。でも、こんなWANTEDの香港もめったに経験できないだろうと思い、記念に写真を「パチリッ」。こんな風景、誰かに見られてたら超恥ずかしいと思いながらの写真ですが、街行く人は誰も見ていません。自分一人で舞い上がっていたようです。不思議なものです。そう思うと「一丁やるか!」といったO型らしい発想で急にファイトが湧いてきました。このイベント毎年パートナー国が入れ替わり、去年がオランダ、今年がフランス。来年が日本だそうで、経済産業省の方やグッドデザイン賞でおなじみの財団法人日本産業デザイン振興会(JIDPO)のメンバーに僕の所属する社団法人日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の会長、勝井三雄さんをはじめ総勢20名ぐらいの方が視察に参加されています。ウエルカムパーティの後、みなさんとお食事をご一緒し、翌日のガラディナーまでは時間があります。
4日は、早起きして朝がゆを求めて市内へ。その後、観光でひとときの休息。夕方からアジアデザイン大賞の授賞式典の会場で日本から到着したばかりのデザイナー廣村正彰さんと出会い歓談。日本からの視察団と一緒にガラ・ディナーに出席。このパーティ、700名近くの出席者ですごく盛大です。VIP席とやらに案内され、まるで芸能人の結婚式にでも出席したような気分です。香港のデザイナーや各国のデザイナーが席までやって来てくれ「明日の講演、楽しみにしているよ」といってくれます。その言葉を聞けば聞くほどプレッシャーが増してきます。「まぁ、なんとかなるか」と思いつつ、今このコラムを書いています。後、一時間もすれば僕の講演。あがらずに上手くいきますように。
それでは、行ってきま〜す。デザインの神様、よろしくお願いします。

コト・バ

『JAGDAと地元デザイナーによる地域中小企業活性化プロジェクト』という長〜い名前の難しそうなプロジェクトに参加するため22日と23日の連休を福岡で過ごしました。このプロジェクトは、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の教育委員会と福岡県が一緒になって、中小企業の活性化とデザイナーのクオリティアップを計ろうとするものです。平たく言うと、地元企業の悩みを地元のデザイナーとJAGDA教育委員会のメンバーが一緒になって解決方法を探り、そこから導かれたデザインにより成果を上げ、福岡の企業とデザイナーの絆を深めてもらおうとするものです。いわば、「デザインの地産地消」とでもいうか、地域に密着したデザイン活動に経験豊かなJAGDA教育委員会メンバーが、一役買おうという活動です。その活動の一部始終が記録され、完成後そのプロセスが一冊の本としてまとめられます。もちろん内容によっては、最終の完成を見ずして終了するものだってあるかもしれません。真剣勝負の福岡版「プロジェクトX」といったところでしょうか。
僕の「三木組」は、福岡のデザイナー武永茂久さん、石田文明さん、前崎成一さんと、コピーライター長畑一志さんの全員で5人です。クライアント訪問前日に自己紹介もそこそこに、いきなりの濃い打ち合わせ。僕のリードで企業分析をしながらのブランディングの道程の整理。そして、仮説を立てての戦略会議へと。3時間近い会議の密度の濃いこと。頭がフラフラになりながらも僕はその場に居残り、教育委員会のメンバーと2時間近い会議が続きます。日曜日というのに…。そして、全員が合流して食事をしながらも話の流れは今回のプロジェクトへと広がっていきます。2次会、3次会と進み終了は午前2時を軽く回っています。翌日のクライアントとの本番でも5時間以上の長丁場。僕は、その間ずっと話し続けながら企業の悩みや問題点を洗い出し、プロジェクト全体の骨格を組み立てていかねばなりません。と、いうかこの初めてのディスカッションが極めて大事で、企業との信頼感や進むべき指針を立てておかないと、次のステップに進めません。取材、問題点の整理、コンセプトを見つけ出すためのキーワードの創出などなど、話し合うことでデザインの骨格を組み立てていきます。まず、商品というモノを取り巻く「事(コト)」を浮き彫りにしていきます。そして、その企業の魅力やポテンシャルを生かしたその企業でしか出来ない立ち位置、「場(バ)」を見つけ出します。
「事・場」→「コト・バ」→「言葉」。
そして、整理した情報を「話すようにデザイン」をして、クライアントや参加クリエイターに今後向かわねばならない方向を可視化させていくのです。可視化。コミュニケーションの設計図からデザインを進めていない段階で共通言語として「見える化」を計っていきます。その可視化がまだおぼろげな状態ですが、一回目のクライアントとの打ち合わせは日没終了。
その後、「三木組」メンバーは食事をしながら、さらに打ち合わせ。飲みながらへろへろになって打ち合わせたメモが下に掲載した写真。Brandingのスペルを誤っていたり、誤字脱字いっぱいのメモで無茶苦茶ですが、僕たちの凄まじい戦いの痕跡です。今回の案件、核心に触れれば触れるほど「コト・バ」に行きついていきます。それにしても、勤労感謝の日にこんなに働いてどうするの?「働いてたかばってん、ほんと時間がなか」と言って、また家族に謝らなければなりません。空港でゲットした明太子で許してもらえるだろうか?本当「フゥー」です。