KenMiki & Associates

農業

こだわりの食材を求める取材で京都の宇治、白川で茶葉を育てる小島茶園さんを訪ねました。こちらの茶園、茶摘みの始まる二十日ぐらい前から茶畑全体を『よしず』で覆い、日光をゆるやかに遮ります。その後、『よしず』の上に『わら』を広げ、茶畑に光がほとんど届かないようにする『本覆茶園(ほんおおいちゃえん)』と呼ぶ、江戸時代から継承している農法で茶葉を育てています。『よしず』と『わら』で光を一定期間遮ることで新芽が日光を求め薄く広がり、葉緑素が増して鮮やかな緑色の茶葉になっていき、そのプロセスの中でアミノ酸類が蓄積されて茶葉独自の旨味やコクが植物の内へ内へと熟成されていくそうです。そして、茶葉を痛めないように一葉一葉をていねいに手摘みをして、一年に一回、一番茶しか摘まないことで品質を落とさないようにするそうです。光を遮断することで植物の体内で変化が起きることに、あらためて植物が『無口な生き物』なんだと思いました。
以前、アマゾンの過酷な自然環境で育つアマゾンフルーツが他のフルーツの数十倍もの栄養価を誇るという話を聞きました。厳しい気候の中で必死に生き残りをかけて育とうとし、活性酸素と戦うために抗酸化物質や栄養素を自ら蓄えていくとのことで、生命の不思議を感じます。
ところで、アグロフォレストリー(Agroforestry)という言葉をご存知でしょうか。
農業(Agriculture)と林業(Forestry)を合わせた造語で主に熱帯林地域で広がっている『混農林業』という考え方です。『森をつくる農業』として注目を浴びているようで、生態系のシステムに添って複数の果実や樹木を植えることで従来の単一栽培ではできなかった持続的な生産を可能とする農業です。日陰を求める植物の横には高木を植えるなど、植物の成長と収穫時期をしっかりプログラムして、農業をしながら森を再生していきます。専門家によると『共育ち』といって植物同士が無理なく育っていくために植物を植える間隔がとても重要だそうです。このように生態系に無理なく添っていく仕組みを見つめていると、僕たちの暮らしも自然環境の一部で人もその関係性の中で生かされているのだと、あらためて感じます。コミュニケーションのこと、デザインのことを日々考える中で、自然の摂理に叶った『農業』のあり方にたくさんの刺激といくつものヒントを頂いた一日になりました。
それにしても、眠い目を擦りながらの朝6時の集合、農業を日々繰り返していくのが並大抵じゃないのだと痛感しました。

足の演技力

先日、京都・大阪間を走る京阪電車の二階建て特急に久々に乗車しました。今まで、数えるほどしか乗ったことがないのですが無意識に二階席を選んでいたようで、この度初めて一階席に座りました。本を読んでいて、停車駅でなにげにカーテンを開き窓の外を見ると、風景が足、足、足なんです。何のことだか分かりませんよね。僕もパニクってしまい一瞬何のことだか分かりません。この電車、一階の窓の位置がちょうどホームの床と同じレベルにあり、上半身が窓のフレームで切り取られているのです。ちょっと冷静になって観察をしてみると『足の演技力』とでもいうか、どの足もモノを申しているように映るではありませんか。ミニスカートの女の子が近づいて来るとドキドキするぐらいのローアングル。まるで、小津安二郎の地面ぎりぎりから撮影する独特のカメラアングルを観ているようです。思わず、カメラを取り出して「パシャパシャパシャパシャパシャ」。盗撮をしているようでシャッターの音が気にかかります。でも、こんな不思議な風景、今度いつ乗り合わせるかも分からないと思い夢中でシャッターをきりました。その時の写真を繋いで作ったのがここに紹介している映像。慌てて撮った写真なので地に足が着かない写真になってしまいましたがご勘弁を。
打ち合わせや撮影、時に講演や審査など、いろんな所に足を運ぶものですから思いがけないことに出会います。数年前に銀座でタクシーに乗っていて真横から衝突されたことがあります。救急車で病院に運ばれ、軽いむち打ち。その後、リハビリで首の牽引をしたのですが、その格好がどんな状況だろうと想像したら、ムズムズしてきて足下にあった鞄を引き寄せてカメラを取り出し自らを撮影。看護婦さんに笑われながらの激写です。
僕は、身を粉にしてビジュアルを創っているというか、フィールドワークの中で体当たりでコンセプトやデザインの種子を探すのが大好きです。
観察と想像。
暮らしの中の驚きや疑問に対し、自分の感性を素直に寄り添わせると意外なところにデザインのヒントが転がっています。そんな訳でデザインの世界に足を突っ込むと、日々ワクワクしながらの暮らしが続き足を洗うことができません。
フゥー。

絵具の雨とい

僕の事務所の打ち合わせ室に飾っている絵の作者で、現代美術作家の山本浩二さんのアトリエで素敵なものを見つけました。彼とは古くからの友人で、展覧会の図録や著書の装幀などを僕がデザインしていていろんな刺激をもらっています。秋にイタリアで開催する大きな展覧会のためにアトリエにこもりっきりというので、陣中見舞いと打ち合わせを兼ねてお邪魔した時の話です。彼の作品の企業秘密だそうですが、絵の背景にあるマチエールを創り出すのに試行錯誤を繰り返した結果、キャンバスをある角度に傾けて絵具を上からたらしてベース地を創っていくそうです。その際、使用済みの絵具の空箱をずらっと並べてキャンバスを流れる絵具を受け止めるとのこと。その空箱、いろんな色の絵具が重なってまるで陶器のような不思議なオブジェになっているではありませんか。
偶然の代物なのですが、作家のアトリエでの創作活動に立ち向かう凄まじい格闘を受け止めてきた気迫のようなものがこの箱の中に閉じ込められているようで気に入ってしまいました。そして、何より「美しい」と感じたのです。
画伯に無理をお願いしてアトリエの隅に積み上げられた沢山の中から選りすぐりの3点をいただくことになりました。それに、ちゃっかりサインをしてもらって僕の事務所のコレクションに。
また、彼の作品の中でも僕の好きな『赤味のある黒』や『黄味のある黒』の作品を制作する際には、「黒だけの同様のオブジェがもう一つ欲しいので、他の色を混ぜずに残しておいてね」という図々しさ。おまけに「『陰翳礼賛』のイメージで、かすかな黒の差異の中にもう一つの黒が浮かぶように」と依頼して呆れられてしまう始末。
名付けて、傾いたキャンバスの屋根を流れる『絵具の雨とい』。自然光の入る白い壁にこの3点のオブジェを並べると、絵具の雨に光る『虹』のようで素敵です。

まずは、倉庫へどうぞ。

僕の事務所は、1960年代に建てられた古い小さなビルで地下室があります。この地下室、作品の保管場所として使用しているのですが、日々、制作される資料などもわんさか置かれていてなかなか整理が追いつきません。と、いうかここ数年、何でもかんでも詰め込んで足の踏み場もない状態になっています。もちろん、倉庫ですので事務所のスタッフ以外立ち入り禁止なのですが、僕の理想では来られたお客さまを、いの一番にご案内できるようなアーカイブにすること。いや、これは言葉が過ぎました。「アーカイブのしっかりした倉庫であればいいのにな」と思い、スタッフ全員で会議。
いろいろ考えた結果、書籍やパッケージなどのサイズや重さを想定して収納方法は、大小2種類の段ボール箱と無印良品のファイルケースを準備して整理することに決定。2種類の段ボール箱は、小の箱を二段積み上げると、大の箱にピッタリ揃う寸法を割り出して別注しました。ここで重要なのは重さへの配慮。紙モノが多量になると結構重く安易に動かせません。その2種類の箱に中身を明解に表示したシールを貼って整理する。段ボール箱にすることでローコストで変更や入れ替えがフレキシブル。また、とりあえずの整理など煩雑になりそうな内容なども安易に保存。ポスターに関しては、複数の種類が一段のケースの中に納められるため、文字情報に加えてアイコン化したヴィジュアルで整理することで情報を一目でわかるように可視化しています。このように整理方法の基盤をつくることで『わかりやすさ』というデザインへと繋げていきます。ここでは、仕組みを考えることがすなわちデザインといっても過言ではありません。
以前、丸亀にある猪熊弦一郎美術館の作品収納庫を拝見したことがあるのですが、額装されていない作品や猪熊さんのコレクションが積み上げられている環境に興奮しました。作品そのものを直接見るのではなく、系統立てられた作品を空間を通して肌で感じることで、まるで猪熊さんの人生を垣間みるような錯覚です。学芸員の方に無理をいって作品を少しだけ見せてもらったのですが、作家の案内で好きな作品を選ぶプライベート美術館にいるような贅沢な時間でした。
そんな訳で、お客さまが来られたら「まずは、倉庫へどうぞ」というのは、いかがでしょうか。