KenMiki & Associates

『りんご』世界一の研究者になるために

まずは、映像をごらんください。
『大阪デザインフォーラム2012』は、大阪芸術大学が主催するイベントで今年で6回目を迎えます。5月20日(日)に大阪中之島中央公会堂で開催された僕の講演をノーカットで放映します。
今年の春から担当することになった 大阪芸術大学 デザイン学科 グラフィックデザインコース
三木組1回生の学生たちとの授業風景をドキュメンタリーで紹介するものです。




デザイン・フィロソフィ(Design Philosophy)

哲学(Philosophy)の語源は、古代ギリシャ語の「愛(Philos)」と 「知(Sophia)」が結び合わさって生まれたフィロソフィア(Philosophia)です。フィロソフィア(Philosophia)には、「知を愛すること」という意味が込められており、古代ギリシャでは学問全般を示す言葉として使われていました。私のワークショップ形式の授業『りんご』は、考え方や作り方といったモノやコトの根源を探る「デザイン・フィロソフィ(Design Philosophy)」をベースとしており、「What is Design ?」と問い続けることが、いかに大切であるかと気づいてもらう授業内容になっています。学問とは「問いを学ぶ」こと。「もっと知りたい。どうして、なぜ」と、問いを立てること。そして「学び方を学ぶ」こと。その道を極めることで世界が開かれていくのだという想いを込めて、副題に「世界一の研究者になるために」と添えました。このワークショップ形式の授業『りんご』は、全てのプログラムで「気づきに気づく」をコンセプトとしています。例えば、身体を通して実感する『りんご』観察は、知ってるつもりの『りんご』を「いかに知らなかったか」と気づくプログラムです。また、『りんご』色見本帳は、プロダクト化された全てのモノが誰かの設計によるもので、色であれ、文字であれ、紙であれ、自分の求めるものがなければ「作り方そのものをデザインすればよい」と気づくプログラムです。そして、「擬声語(オノマトペ)」のタイポグラフィは、漫画の中に見るオノマトペを「感情を表す身体の文字」として捉え、「感じるデザイン」とは何かに気づくプログラムです。その他、「ルール」や「制約」といった「規制」の中で、多様な表現方法が見つけだせることに気づくプログラムや、『りんご』連想ゲームを進める中でカテゴリーやコンテンツを見つけ出すことが編集の醍醐味だと気づくプログラムなども準備しています。また、人の考え方や価値を受け入れる「借脳(しゃくのう)」という発想方法により、感化されたり、のたうちまわったり、ときめくことで「偶然の幸運に出会う能力(セレンディピティ)」を磨いていきます。「セレンディピティ」は、思いもよらないモノやコトを引き寄せ、発想をジャンプさせる能力のことです。日々の暮らしにアンテナを張り、発想を柔軟にするこで「気づき」に出会える可能性が広がっていくのです。このワークショップ形式の授業「りんご』は、「気づき」が「コンセプト」そのものであることに気づくプログラムなのです。初めてデザインを学ぶ方のみならず、デザインに興味のない方や長年デザインに携われている方、そして、デザインを教えてこられた方にぜひ体験していただきたいプログラムとして設計したものです。
学生たちはみな、「その気・やる気・本気」を探し求めており、自らの力を発揮するチャンスやタイミングを常にうかがっていることを私はこの授業を通じて実感しました。人には、それぞれ個性があります。その個性を自由に解放するための「気づき」を芽生えさせることが、この授業の全てです。「愛(Philos)」と 「知(Sophia)」といった目には映らない「知を愛すること=哲学」を『りんご』のワークショップを通して可視化できないだろうかと考え続けてきました。そして、学生たちの本気を導きだすことでクラス全体で作る「新しい授業のあり方」や「新しい教科書のあり方」を模索してきました。「教師は自分の複製を作ってはならない」。これが私の教育指針です。一方「学びは、まねる」という語源に見るように、写し取ることで学ぶ「伝承」の意義もしっかりと理解せねばなりません。よって、学生たちが私をまねることもいといません。何よりも大切なことは、思想家の内田樹さんが中学生に向けて語っておられるように「知っています。」ではなく、「自分には、知らないことがまだまだある。」と謙虚になり、知ることについて興味を抱くことです。「知りたい。教わりたい。」といった素直に願う気持ちが「学ぶ力」を育てていきます。大学で教鞭をとるにあたり、デザインの入り口に立ったばかりの学生たち(18~19歳)に何を教えればいいのかを真剣に悩みました。
「What is Design ?」という問いかけは、私自身への問いかけでもあります。私は、思春期の悩みから学びを放棄し、すがるようにデザインの道へと入りました。「What is Design ?」は、私の人生をかけた学びへの憧れです。「学び足りない。もっと学びたい。」という想いが、いまの私を駆り立てます。「学び」とは、自らの課題を探しにいくことです。『りんご』は、「気づき場」「学び場」「たまり場」を提供する学びのプラットフォームでもあります。『りんご』は、学生たちの「学びたい」という意識によって支えられていきます。
「知を愛すること」。
これが、学びの原点なのです。

三木健


三木組奮闘記 [オノマトペ商店街]

新学年の授業が始まりました…。と、コラムを書き始めたのですが、昨年の三木組3回生の最終授業の様子がまだご紹介できていない。急いで書かなきゃ、次の三木組が追い越しちゃう…。
僕の海外講演での体験から始まった課題説明。韓国での話です。通訳者が隣にいる逐次通訳での講演。日本語を少し話しては韓国語に通訳、コミュニケーションのもどかしさから自分のリズムがつかめません。気づかぬうちに身振りや手振りを加えたオノマトペを連発。その内容を再現すると次のような感じです。『僕の考える“話すデザイン”は、「ペチャクチャ、ペチャクチャ」と多くの人と話すことから…。その会話から気になる言葉を「ポンポン」と繋ぎ、コンセプトを探ります。本筋から離れ余談へと「ピョン」と跳ぶこともしょっちゅう。そこにアイデアの神様が「チョコン」と潜んでいたりする。そんな時、仮説を「ドンドン」立ち上げ、行き詰まったらそれを「プチプチ」と刻み再編集をする。大切なのは「ドキドキ」や「ワクワク」といったみんなの喜ぶ顔を想像すること。話すようにデザインをする、これが僕のデザイン手法。まずは、「ペチャクチャ」から…』といった内容。講演後、感想を聞くと「面白かった!漫画みたい!」。「えぇ~漫画?」と落ち込む僕に通訳者が「とても素晴らしかったですよ。みんな、喜んでいました」。「でも、漫画っていわれました」。「それは、オノマトペがたくさん使われ、楽しく分かりやすかったという意味」。さて、僕の話からオノマトペだけを抜き出すと次のようになります。「ペチャクチャ、ペチャクチャ。ポンポン。ピョン。チョコン。ドンドン。プチプチ。ドキドキ。ワクワク。ペチャクチャ」。これに身振り手振りが加わるわけですから漫画のように感じて当然ですよね。
さて、オノマトペ(onomatopoeia)の語源はギリシャ語。onomaという語は「名前」の意味。poeiaの語は「作る」を意味していて「名前を作る」が原義です。もともと読みのない音に字句を創りだしたことに由来しています。水が「サラサラ」、犬が「ワンワン」といった『擬音語』と、面白すぎて「ケラケラ」、お腹がすいて「ガツガツ」といった『擬態語』があります。その2つを総称して擬声語(オノマトペ)と呼びます。オノマトぺは、決して理性的な言葉ではありませんが、直感的にその映像が浮かんできます。つまり、音により素早く状況を可視化させるコミュニケーションだといえます。
そこで、課題です。このオノマトペを使って、みなさんと商店街を計画したいと思います。それぞれが商店主となって業態を決めてください。「ベロン、ベロン」という酒屋を計画するもよし、「ドキドキ」という演芸場を計画するもよし、「オギャー、オギャー」という産婦人科を計画するもよしです。表現は、自由です。何か新しい出来事に出会えそうな行為や状況を生み出すデザインを提案してください。


漫画専門店[サイン]
自信なさげにやってきたUさん。「あの〜、あまりにもストレートな発想なんですが、漫画のオノマトペを分類して、漫画専門店のコンテンツにしてみようと思うのですが…」。「どういうことですか?」「私、漫画が大好きなんです。スポ根漫画やギャグ漫画やラブコメ漫画など、いろんな分類があるのですが…。ジャンルを超えて読みまくっているんです。スポ根・SFファンタジー・バトル・ギャグ・シリアス・サスペンス・ラブコメ・エロなど、それぞれの分類によってオノマトペの表情に特徴があるように感じてるのですが…」。「ほう〜、面白いですね。漫画好きならではの視点です。オノマトペは、擬音語や擬態語。漫画で使用されるオノマトペは、まさに身体表現のタイポグラフィの宝庫ですものね。漫画家によって表現は異なるでしょうが、確かに文字がそれぞれのジャンルを体現しているように思えますね」。「それで、オノマトペを漫画の分類に使うサイン計画にしようかと思っています。加えて、書籍カバーやしおりなどもデザインしようかと…」。「いいじゃないですか。どんどん、進めていきましょう!」と肩を押してあげると、彼女の瞳が『キラッ』。「なんだか『ワクワク』してきました」。「『ビシバシ』いくよ!」。「面白〜い。この会話、私の漫画オノマトペと全く一緒じゃないですか〜」『ゲラゲラゲラゲラ…』。


オセロ・オノマトペ
前回の課題『気づきミュージアム』で街を犬の視点と人の視点で見つめることで、多くの価値が変換すると提案してきたOさん。視点を交互に変えることで気づかなかった街の風景を浮上させ、街全体を『気づきミュージアム』にするといっていた彼女がオノマトペをどう発想するのか、期待が高まります。Oさんのプレゼンテーションが始まりました。「日本語で犬の鳴き声は『ワンワン』、英語では『BOW WOW』といいます。使う人や文化によってオノマトペの表現が違ってきます。例えば『ゴロゴロ』というオノマトペを聞いて『転がる』と発想する人もいれば、『雷』と思う人もいます。また、『寝っころがる』と感じる人もいると思います」。「なるほど」。「そこで、一つのオノマトペが人や状況や文化によって異なる意味に受け取られることを知らせるゲームを提案したいと思います」。「ほう〜」。「題して、オセロ・オノマトペ。黒と白が表裏にあるオセロの石にオノマトぺを刷ります。同じ響きの擬音語がひっくり返ることで意味が違うオノマトぺになるタイポグラフィのデザインです」。「それは、おもしろい」。彼女のプレゼンテーションにクラスのみんなが吸い込まれていきます。「オノマトペって擬態語でもありますよね。つまり身体のタイポグラフィってわけ!」。「ウヘェ〜。すご〜い。オノマトペをしっかり噛み砕いて自分のものにしてる」。三木組のみんながザワザワとしてきました。


オノマトぺファッション
「私、ファッション大好きなんです」。「ええ」。「それで、オノマトペをテーマにしたコレクションを展開する洋服屋さんを作ろうと考えています」。「ほう」。「実は私の家、昔、金物屋さんをしてました。それで、金物屋さんで取り扱っていた商品をテーマに不思議な世界観のコレクションを作りたいと考えています。ドライバー『GURI GURI』、かなづち『TON TON』、スポンジ『KYU KYU』、スコップ『ZAKU ZAKU』。そんなオノマトぺファッションを展開したいのですが…」。「いいんじゃないですか。実際の服にまで展開できるといいですがね」。「えっえ〜」。そんな会話から始まったFさんとのミーティング。ファッショナブルなイラストとオノマトペスカート。プレゼンの始まりにオノマトペスカートを履いて自らモデルとなって決めポーズ。スカートの「ヒラヒラ」揺れる動きとかなづちオノマトペの「TON TON」がリズミカルにマッチした立体プレゼンテーション。三木組のみんなが「かわいい〜」。


パラパラ
「わたし、がんばりましゅ」といった口調で、どこか幼さの残るMさんの隠れた闘志をご紹介。「せんせい、オノマトペで『ドン・ドン・プチッ・プチッ』を作ろうと思うの」。「はぁ、それなんですか?」。「あの〜、パラパラ漫画でオノマトペを動かすの。せんせい、オノマトペは体の言葉っていってたでしょ」。「あぁ、身体性があるという話ね」。「うん。それで、文字に命をあたえるの」。「ほぅ〜」。「これで進めていいですか?」。「いいけど、アニメってすごい枚数を描かなきゃだめだよ。大丈夫?」。「がんばるっ」。「ところで『ドン・ドン・プチッ・プチッ』の1点だけ?」。「ううん、いっぱい作るの」。「本当にできる?」。「がんばるっ」。こんな会話から始まったMさんとのオノマトペ。内心、大丈夫かなと心配していました。プレゼン当日。「ジャジャーン。せんせい出来たよ」。「えぇ、5種類もあるの」。「映像もあるよ」。「うそー」。「わたし、がんばりましゅ、っていったでしょ」。「あっあ〜」。みくびっていた。彼女のすごい闘志に気づかなかった。アニメの中で会話しているような気分でどこか幼く映っていた。その気、やる気、本気が「がんばりましゅ」の中に潜んでいたのだ。『ドン・ドン・プチッ・プチッ』僕の固定観念がこわされていく。


京言葉『かるた』
オノマトペで始まる五十音の『かるた』を版画で制作してきたHさん。京言葉を盛り込んだ『かるた』がゆったりした時間を感じさせます。関西育ちの僕も知らない京言葉の解説に「ほう〜」と感心のプレゼンテーションです。オリジナリティのあるイラストレーションが強い個性を発揮しています。「版画大変だったでしょ。ずいぶんがんばったね」。「始めは、ややこになって泣きそうやったけど、なまくらしてたらあかん。がんばらな、デザインの神様にそっぽむかれる。始めは、材料費もかかりすぎると思ってしぶちんしてたけど、思い切りやったらしかめっ面のでぽちんが笑いはった。今日はプレゼンやけど心が落ち着いてなんどりどす」だって。みなさんわかりますか?
ややこ=あかんぼう。なまくら=不精でだらしない。そっぽ=よその方。しぶちん=けちな人。でぽちん=おでこ。なんどり=穏やかなさま。




3.11 14:46

東日本大震災から1年。
3月11日14時46分。
黙祷。

「この日を忘れてはならない」。
3.11 14:46のカードをデザインしようと思った。
「未来の子ども達へ」と副題をつけた。

このカードに僕たちは何を書き込めばいいのだろう。
きれいな水。きれいな空気。きれいな緑。
あの日まで普通だと思っていたことを未来に約束できるだろうか?

真っ白な紙から切り取られた3.11。
この空白を埋めきれない全ての人に鎮魂を込めて…。

二〇十二

あけましておめでとうございます