KenMiki & Associates

デザインの夢の続き

お盆休みにお酒を飲んで、気がつくとうたた寝をしています。喉が乾き、冷たいジュースでもと思いキッチンへ。水屋からカップを取り出し氷をたっぷり入れ、カルピスを注ぎ、次に水を注ごうとした時です。カップの底から液体がポタポタと流れ出てるではありませんか。「なんだ、これっ?」とカップをじっくり見つめると、珈琲用のドリップカップです。もちろんフィルターを入れていなかったので、ポタポタは、かすかに残った液体が落ちている状況です。実際には、ドバーッと液体が流れ出たのだと思われます。粘りのある液体が机の上にジワッと広がっています。家族にバカにされるやら、情けないやらで最低の状態です。どうやら、寝ぼけて取っ手の部分のみを見てマグカップだと思い込んだようです。(トホホ…)
これ、そそっかしい僕のお盆休みの失敗談なんですが今日のコラムは、器の話。
事務所で来客用に使っている珈琲カップは、複数の現代工芸作家によるデザイン違い。現代工芸作家なんて書くと凄く高価な器を想像されるかもしれませんがリーズナルな日常使いの器です。その器、大小様々。大雑把にいえば、取っ手のついていない和の器。洋の器のように使い方が限定されていない器といってもいいかもしれません。よって、見方を変えればお漬け物を入れてもいいし、焼酎を入れてもいいし、もちろん珈琲だってOK。その器、お客さまに合わせてスタッフが気分でコーディネートします。
実はこれ、阪急芦屋川駅の近くにある『うつわクウ』のスタイル。この小さなお店を家族で訪ねた時に「お茶でもいかがですか?」と、異なる作家の器で珈琲を入れていただいたことが発端です。素材感の異なる器を両手で包むようにしてお茶をいただく。そこに添えられた昔懐かしいアイスクリームの棒のようなマドラーでミルクを混ぜる。手作りでふぞろいの布コースター。そのセンスの良さに感服。すっかり気に入った僕は、そのおもてなしのスタイルをそのまま事務所で使わせていただこうと、オーナーの美崎ゆかりさんに相談しながら事務所の器を揃えていきました。お客さまからも「手の平に伝わるお茶の暖かさが心を和ませる」と、大変好評の器です。
ところで、器の原型は、水を手ですくって飲む時のカタチから生まれたんじゃないだろうか。ピュアな水の冷たさを手の平の器でいただく。冷たさや暖かさを身体の器が感じる。そんな飲む行為の原型に、使い勝手やスタイルが加わることで、取っ手が発明されたんじゃないだろうか。僕は、このように空想を広げながら器を見つめています。
お盆休みにドリップカップからポタポタとこぼれ落ちる液体の悪夢。
僕はあの悪夢を思い返しながら、ドリップカップは手の平の指先の隙間から、ポタポタとこぼれ落ちる水を見た誰かが発明した器ではないか、とデザインの夢の続きを見ています。

知ってるはずの自分の中の知らなかった自分に出会う

デザイナー募集で多くの方のポートフォリオと履歴書を見せていただいています。作品はそれぞれ異なりますが、履歴書はどなたもよく似た形式です。
ずいぶん前になりますが、ある学生を面接した時のことです。「大学でまじめに課題を制作していなかったもので作品がほとんどなく、ポートフォリオが作れませんでした。そこで履歴書をデザインしましたので見ていただけますでしょうか」と切り出され、履歴書のみでデザイナーを面接することになってしまいました。おもむろに出された履歴書。平面と思いきや、切り込まれた紙が立体的に立ち上がる構造になっています。まるで彫刻家の経歴を紙のオブジェでデザインしたようなイメージです。テクスチャーの違う白い紙を複数組み合わせることで豊かな表情が生み出された美しい造形です。そこに緻密に計算されたタイポグラフィによって経歴とデザインに向かう姿勢が記されています。複数の候補者と迷った末、結局、不採用としましたが履歴書のみで最終選考にまで残り、強い印象を僕に焼き付けた作品でした。
さて、11月に韓国のアジア・クリエィティブ・アカデミー(ACA)という人文学、自然科学、社会学、芸術学などを基礎にした大学院のような機関で講演と3日間のワークショップを行います。僕のワークショップの課題は、「履歴書」。その内容を紹介します。
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あなたの「履歴書」をデザインしてください。
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最も良く知っているはずの自分のことについて、自分自身が意外と知らないことがあります。自分を観察してください。自分の未来を想像してください。自分が最も「ときめく」ことに注力してください。育った場所、育った時代、家族のこと、友達のこと、好きな本、好きな人、そして、夢など、あなたを取り巻くあらゆる関係性から自分を見つめてください。
例えば、好きな言葉を机いっぱいに広げてみると、気づかなかった自分の理念に出会うかもしれません。また、気持ちのいい場所、ドキドキすることを想像してみると、自分の進みたい道が明確になるかもしれません。
ここでいう履歴書は、自分の思考や生き方、そして、自分の感性を存分に表現する「あなたの未来を語る履歴書」です。自分のルーツや自分のヴィジョンをしっかり見つめ、自分の言葉で語りかけるようにデザインをしてください。平面、立体、映像など表現の方法は自由です。見る人がワクワクするような履歴書を作ってください。面接で「ポートフォリオよりも履歴書が素晴らしいので、あなたを採用します」と、いってもらえるようなデザインをしてください。あなたの理念がほとばしる「履歴書」を期待します。
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と、いった課題をワークショップを始める前に知らせています。
自分の思考や生き方を可視化してみる。観察、想像、気づき。知ってるはずの自分の中の知らなかった自分に出会う。自問自答。そこに創造のヒントが芽生えます。

「と」の会社

ある企業の経営計画発表会に参加しました。
本来、外部の者が参加出来るようなものではありません。トップが中長期の経営計画に基づき、具体的なヴィジョンやシナリオといった経営方針を社員に発表する場だからです。僕は、この企業のブランディングに深く関わっていて、「これから数年後の事業展開を把握するように」と、このような機会が与えられたのだと思っています。ブランディングを一言でいうとお客さまとの「絆」づくり。と、ここまで書いてきましたが、この発表会の内容は全て機密事項。これ以上は語れないのです。(そりゃそうですよね!)
そこで、今日のコラムはこの会議の後に開かれた第二部の懇親会での話です。
第一部の経営計画発表会のスーツ姿から一転して、社員のみなさん全員リラックスしています。そろいのTシャツを着る部署や浴衣姿の部署など、みんなとても個性的です。司会者の「仕事も頑張るが、遊びも頑張る。みなさん、弾けてくださ〜い!」の号令で懇親会が始まります。女性陣の中には「あなた誰?」と思うぐらいのメークの方もいて凄い熱気に包まれています。「このパワーが何処からくるんだろう?」と、考えている間にも演し物がどんどん変わっていきます。そして、司会者が「おまたせしました〜」と挨拶するやいなや前の席が一斉に片付けられ、そこに全員が集って来るのです。
僕は、押し寄せて来る人の波に飲まれまいと必死です。気がつくとステージの一番前の砂かぶりにいます。そこに社長率いるロックバンドの登場です。これがまた凄い。バラードから始まったかと思えば、奇麗どころの女性陣がいきなり登場して、セクシーなミニスカート姿で「キューティハニー」を合唱するんです。そして、ヘルメットとスコートで女装したワケの分からない男性3人組がなだれ込んできて踊りまくります。僕は、呆れながら「あんたら何者や!」と、心の中で突っ込む始末。昼間の経営計画発表会の緊張から解き放たれたのか、本当に全員が弾けまくっています。その姿に混乱しながらも僕は妙に感動しているんです。なんか体の奥にある熱いものがこみ上げてくる感覚です。この出来事、一週間前の話です。よって、『耕す。育てる。』の天神祭のコラムより以前の出来事なのですが、興奮収まらず今になってしまいました。「あれは、いったいなんだったんだろう」。「この催しのためにすごく練習したんだろうな」。「みんなイキイキしていたな」と、回想していてこの懇親会の目的がはっきりとわかりました。
人と人を繋ぐ「絆」を作ろうとしていたのです。すごくプリミティブだけど、分かち合うのに理屈なんかいりません。チームで一緒になって作り上げる。そこに目には映らない何かが宿ってきます。僕は、ブランディングを通してお客さまと企業の「絆」を結ぶことに注力してきました。彼らを見ていてチームの「絆」をしっかり結ぶことが最も大切なんだと教えられました。
つまり、「中長期の経営計画」を動かすのが「彼ら」だということです。
人を育てる。人がイキイキとする。この経営計画発表会の真の目的は、ここにあるのです。
人と人を繋ぐ「と」の会社。
この「と」がこの企業の最大の魅力で、一番の機密事項なのです。

耕す。育てる。

毎年恒例の天神祭の集いを7月25日に開催しました。
僕の事務所は天神橋と難波橋のちょうど中間の川沿いにあり、目の前を祭りのメインイベントの一つ陸渡御(りくとぎょ)の行列が通ります。総勢3,000人。巨大な太鼓を、シーソーのように大きく体を揺らしながら「ドドドン!」とたたく催太鼓(もよおしたいこ)から始まり、日本神話に登場する神、猿田彦(さるたひこ)、道を清める神鉾(かみほこ)、色鮮やかな衣装の稚児(ちご)や采女(うねめ)が彩りを加え、地車(だんじり)、獅子舞(ししまい)、牛曳童児(うしひきどうじ)などが連なります。そして、平安時代の貴族の乗り物、御羽車(おはぐるま)や菅原道真公の御神霊を乗せた御鳳輦(ごほうれん)が第二陣でやってきます。最後に鳳神輿(おおとりみこし)と玉神輿(たまみこし)が事務所の前を通過する頃には、僕はずいぶん出来上がっています。荘厳な雰囲気で時代絵巻を見ながらのお客さまとの歓談。ついついお酒が進みます。陸渡御を終えた一団が天神橋のたもとから船に乗り込み、祭は船渡御(ふなとぎょ)へと移ります。御神霊を乗せた御鳳輦船(ごほうれんせん)を中心に100隻の船が大川を行き交い、5,000発の奉納花火が夜空を真っ赤に染める頃、祭はクライマックスを迎えます。
こんな一大ページェントが繰り広げられるエリアに事務所があるものですから、仕事どころではありません。毎年、のんびりしたスタッフは祭が始まっても仕事に追われ、途中からしか参加出来ないハメになっている者もいますが、今年は土曜日。みんな気合いが入っています。
ゲストに「街場の教育論」など多数の著書や講演で大活躍の内田樹さん(書籍はもちろん、ブログ無茶苦茶面白いのでお勧めです。http://blog.tatsuru.com/)や僕のコラムでもおなじみの画家の山本浩二さんと奥様のソプラノ歌手の森永一衣さん、サントリーミュージアムで開催された「純粋なる継承」の写真が素晴らしかったカメラマンの奥脇孝一さんご家族など、たくさんの方々にお越しいただきました。この祭、大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)より始まったとされていて、今年で1,050年を迎えるそうです。約11世紀ですよ!(50年という長い時間を「約」といって、1世紀に数えてしまうぐらいの時間の流れ、すごい歴史でしょ。)これを文化といわずしてなんといいましょう。天満宮の氏子になって「三木氏」の入った提灯をかかげ、祭を祝う。この提灯の「あかり」がやっと事務所に似合うようになってきました。
この「あかり」が文化です。
グローバルな社会になればなるほどローカルが輝きます。いや、輝かせなければなりません。
仄かな「あかり」で地域を灯す。一年に一度みんなで集う。文化は耕すもの。育てるもの。だって、Cultureの語源、Cultivateが「耕す」「育てる」という意味なんですから。僕たち三木健デザイン事務所もこの地域の方々にお世話になり、この地の文化に育てられています。
「輝く未来」なんて言葉はあまり信用できませんが、仄かだけど、ずーっと灯ってきた「あかり」になぜか未来を想像します。

真っすぐ

阪神淡路大震災の翌年の1997年、僕の通っていた神戸の二宮小学校が廃校となりました。少子化問題などを抱え4つの小学校が統合され神戸市立中央小学校として生まれ変わったのです。
母校が消える。校歌が受け継がれなくなる。NHKの『課外授業 ようこそ先輩』に出演ができなくなってしまった。(笑)「あぁ〜」。なんだかむなしい。すごく寂しい。その小学校の廃校式に出席した友人の発案で『にのみや会』という同窓会が開かれることになり今年で5回目を迎えます。先週の土曜日、その同窓会に出席してきました。
幼なじみと久しぶりに出会うと、当時の面影を残していて一目でわかる人もいれば、風貌(体型?)が変わってしまい、まったくわからない方もいます。それでも「○○ちゃん」と呼び合っていると当時へとタイムトリップしていきます。
僕が小学校四年生の時に東京オリンピックが開催され、五年生の時にビートルズが来日、小学校を卒業した年にツイッギーがやって来て、街中に膝上25cmぐらいのミニスカートの女性が溢れた時代です。ちなみに土曜日に出会った幼なじみの女子のスカート丈は、ほとんどが膝下10cmぐらいになっていました。そりゃそうだよね。みんなしっかりと歳を重ねてきたんだもの…。
その女子に「三木君、若いね!」なんていわれて思わず喜んでいる自分が、まさに歳をとった証拠です。さて、その女子のスカート丈が伸びてくるまでの時間をもう少し遡って当時を振り返ってみると、中学2年生の時に東大安田講堂事件があり、東大受験が中止され翌年の1970年、東大入学者がゼロとなります。そして、その年の僕の誕生日に『よど号』のハイジャック事件が起こり犯人の赤軍派が北朝鮮へと亡命。日本中がハイジャックという言葉を初めて耳にしました。僕はといえば弟と一緒に出掛けた大阪万博で興奮のあまり入学祝いにもらった万年筆をなくして落ち込む始末です。そんな思春期まっただ中の秋に三島由紀夫の割腹自殺。僕たちの少し上のジェネレーションは学生運動にのめり込み、ウーマンリブなる女性解放運動が盛んになり、ピンクのヘルメットの怖いお姉さん達(中ピ連)が何人もの男性を公然で吊るし上げては満足げな顔をしていました。「なんか違うんだよな〜」なんてぼやくと、怖いお姉さんに囲まれて木っ端みじんにされそうなすごい時代でもありました。細谷巌さんと秋山晶さんの「男は黙ってサッポロビール」の広告が誕生するのもちょうどその頃です。
高度経済成長時代という誰にも止めることの出来ないすごいエネルギーが、好むと好まざるに限らず、僕たちを強引に引率していった時代でもありました。ノンポリの学生でも何も考えていなかった訳ではありません。僕は「いったい何処にいくの?」「何処にいけばいいの?」とずっと心で叫んでいたように思います。「止まらない列車に乗ってはならない」といった浜野安宏さんに刺激を受け、コンセプトなる言葉を知るのは、それからずいぶん経ってからです。
意味と形。思想とデザイン。僕はずっと、そんなことを考えて走ってきました。いゃ、無意識にそんなことを考えてしまっていたようです。時代が、経験が、人に価値を築いていきます。
ここに掲載する昭和42年の神戸市立二宮小学校6年3組のクラス写真。2列目左から3番目が当時の僕。日本が目まぐるしく変わろうとしていた時代です。みんなピュアで真面目すぎるぐらい真っすぐに前を見ています。
「真っすぐ」。
志があって、遠くを見ていて、何より自分に素直で「生きる指針」が定められた大切な姿勢だと、卒業アルバムをめくりながらあらためて感じた次第です。
“Boys be ambitious” 少年よ、大志をいだけ。