KenMiki & Associates

三木組奮闘記『学校』

三木組奮闘記、いろんなドラマが起き始めています。
「ゴホン、ゴホン」と咳き込みながら風邪を押して授業に参加する熱心な学生や、僕のコラムを読んで「授業に参加したい」と連絡をくれる隣のクラスの学生や教員のサポートなどをしてくれる副手の人達。また、他校の生徒や先生、そして若手のデザイナーにいたるまで多くの方々から感心を持っていただき始めた三木組。僕のWEBのコラムのコーナーにデザインを取り巻く周辺を綴りはじめて2年と4ヶ月。三木組奮闘記は、今年の春からの授業風景のコラム。思わぬ方から「三木組奮闘記、読んでます。楽しみにしています」なんて話しかけていただき、嬉しいような緊張するような…。そんな中、後期の課題『考現学百貨店』の『One Line』という作品を今年の卒業制作の冊子の表紙に使いたいという依頼がありました。聞く所によると、3回生の作品が毎年表紙を飾ることになっていて、僕のコラムを見られた教授がその作者に白羽の矢を立てたとのことです。クラスで発表した所、一斉に拍手が起りましたが、本人は嬉しさと緊張で呆然としている様子です。三木組、にわかに騒々しくなってきました。こんなカタチでいろんな方から評価を受けるのは、僕にとっても学生にとっても嬉しいことです。さぁ、三木組、気合いを入れてさらに奮闘していきます。
さて、今日は、すでに進行している後期の2つめの課題『学校』についての話です。
今年の四月から大学で教鞭をとるようになって、「学ぶとは?」「学校とは?」とよく考えるようになりました。学生達と週に一度、顔を合わすようになって、彼らが「その気」や「やる気」や「本気」になるタイミングを探しているように感じるのです。しかし、今ひとつ情熱をかけるものが見つけきれずに、何となく過ごしているようにも思えるのです。また、企業の人材確保のための青田刈りに、3回生の後期になると就活などで落ち着かず、ソワソワする学生がいたり、時に「学ぶ」という事をコンビニでモノを買うように「学びを買っている」と誤解している人がいたりと、社会構造や学校のあり方についての疑問が僕の中にたくさんわいてきました。思想家でエッセイストでフランス文学研究者で翻訳家で大学教授の内田樹さんが話している「学校や病院における学生や患者のお客さま化が広がっている」という内容に教鞭をとるようになって、すごく実感したのです。(学生諸君!内田樹さんが受験生のために書いた『学力とは何か』というブログを時間のある時にでも読んでみてください。『学ぶ力』についての気づきに気づかされますよ。)そんな訳で大学に通い始めて間もなくした頃から『学校』そのもを課題にして授業が展開できないだろうかと考え始めたのです。教わる立場と教える立場を逆転することで、「学ぶ」について「学ぶ」授業をやってみたくなったのです。下記に掲載する課題『学校』は、先日、学生に配ったプリントの一部です。

課題『学校』
学校=school(スクール)の語源は、古代ギリシャ語の 『 schole( スコレー)』から発しました。古代ギリシャや古代ローマの市民が、労働をまぬがれて自己充実を積極的に楽しもうとした『余暇(時間)』のことを 『 schole( スコレー)』といいます。当時の人たちは、音楽・芝居・スポーツを楽しむ中で感覚的なものの背後にある普遍的で客観的な原理をとらえようと多くの議論を交わしたといわれています。
さて、今回の課題は、あなたが教師となって、次の世代を育成する学校をつくるとするならば、何を語り、何を教えるでしょうか?そのためには、どんな理念を描くでしょうか?その実現のためにどんなモノやコトが必要でしょうか?教室は?教科書は?カリキュラムは?…。あなたが学ぶ立場から教える立場へとステージを移動させてください。回答を出す側から質問を出す側へとチェンジしてください。その時 「学ぶとは、どういうことなんだろう?」 と 自問自答してみてください。そして、誰に、どんな授業で、どんな気づき を気づかせるかを想像してみてください。例えば、あなたがNHKの「課外授業、ようこそ先輩」のように、出身の小学校へ出かけ、授業をするとすれば、どんな内容にするでしょうか?
小学生が「なんだろう?」と好奇心を描くこと、「なぜだろう?」と深く考えること、「そうか!」と気づきに気づくこと、「こう思う!」と自分の言葉で話すこと。そんな学校があるとすればどうでしょう。『色ってなんだろう?歌うってなんだろう?ドラえもんってなんだろう?喜びってなんだろう?美味しいってなんだろう?恋ってなんだろう?涙ってなんだろう?言葉ってなんだろう?笑うってなんだろう?眠るってなんだろう?話すってなんだろう?デザインってなんだろう?』どんな問いでもかまいません。何を問うかが、問われてきます。
教えるプロセスをダイアグラムにしてもかまいません。教科書をデザインしてもかまいません。あなたの考える学校のヴィジョンに合う教室や食堂をデザインしてもかまいません。学校の名前やロゴマークが建学の精神を色濃く表しているようであればヴィジュアルアイデンティティでもかまいません。グループ制作を基本とするプロジェクトですが、個人のプロジェクトとして参加してもかまいません。あなたの考える学校を提案してください。

これ以外にも、僕の日常の仕事を紹介しながらコンセプトの導き方や物語の組立て方を指導し、いま、学生達とは、彼らの描く学校について個別の議論をはじめています。理念をつくり出すのに苦しむ学生には、生徒手帳って何?校歌って何?ラジオ体操って何?連絡帳って何?制服って何?卒業証書って何?給食って何?黒板って何?教室って何?先生って何?学ぶって何?など、彼らの等身大の『学校』から根源を探り、疑問を持ち、発想を広げるようにと話しています。
彼らの発想のプロセス、その混沌とした頭の中をちょっと覗いていただこうと、彼らのノートの一部を撮影させてもらいました。僕の授業は、三木組の数十名の演習が基本となりますが、このコラムの読者のみなさんの目を彼らが意識することで、社会の眼差しを浴びながらデザインを考えていくことになるのです。さて、どんな『学校』を発想してくるのやら、ちょっとドキドキしますが、立場が変わることで彼らに『学ぶ力』の真の意味が理解されればと願っています。