KenMiki & Associates

洗濯板

先日、映画『ALWAYS続・三丁目の夕日』が早くもテレビで放映され、僕の子供時代にあった洗濯機と洗濯板を使用する場面が描かれていました。当時の洗濯機は、映画のシーン同様に洗濯物を挟んでギューッと水を絞る2本のローラーがサイドに取り付けられており、ハンドルを「くるくる」と回転させると「のしイカ」のようになった洗濯物が出てくる仕組みでした。母の仕事を手伝うのに小さな手でローラーを回転させ、石鹸の香りのする「のしイカ」をよく作ったものです。今、思うと、なんともアナログな機械でした。厚手の服などは、上手くローラーを通らず、手で洗濯物を絞っていました。ちょっとした洗濯物などは、木製の洗濯板でゴシゴシと背中をまるめて洗っていた母の姿が記憶にあり、子ども心に「はたらく美しさ」とでもいうか、その姿の中に妙に美意識を感じたものです。よって、回転式ローラーのついた洗濯機と洗濯板は、僕の「はたらく原風景」になったように思います。当時、高度経済成長のまっただ中で家庭にいくつもの便利な電化製品が登場し始めた時代です。
さて、次のような話をずいぶん前に、Gマークの『私の選んだ一品』という本に寄稿したことがあります。それは、GOOD DESIGN賞に選ばれた商品の中から審査員がその推奨理由を語るという内容で、僕が選んだのは無印良品のとても小さな洗濯板。白い柔らかな素材の携帯用の洗濯板で、旅行バッグのポケットなどに忍ばせておくと少量洗いや部分洗いに最適だと思ったのです。もし、旅先でTシャツを汚してしまい慌てている時、鞄の中からこの洗濯板を出してくれるような女の子がいたとしたら、その人の暮らしに対する価値に触れたようなリーズナブルな生活感覚に僕なんかは「いちころ」になってしまいそうです。
この洗濯板を見つめていると、洗濯する風景が「はたらく美しさ」と相まって、心まできれいにしてくれそうなデザインだと感じます。
僕にとっての「はたらく=デザイン」は、日本人の美意識に支えられた営みの中にあるのです。